織物の世界に「革新」を持ち込んだ、初代龍村平藏。
法隆寺、正倉院に伝わる古代裂など伝統的な織物の研究に尽力し、
復元の第一人者として織物の地位を「芸術の域」にまで高めた功績
は染織技術の最高峰と言えます。
平藏が16歳の時、西陣にて呉服商の道へと進み、徐々に織物の技
術研究に没頭するようになりました。明治27(1894)年、18歳で織元
として独立。商売も順調に拡大し、30代という若さで「高浪織」や
「纐纈(こうけち)織」など数々の特許を取得、周囲に衝撃を与えま
した。
平藏は感性に富んだ若手デザイナーを多数起用しました。これは
当時の織物業界においては前例のない画期的なもので、高いレベル
の図案が次々と生み出され、堂本印象画伯(1891~1975)など近代を
代表する芸術家が多数輩出されました。
芥川龍之介をして言わしめた「恐るべき芸術的感性」は龍村平藏
の名を不動のものとし、さらには“織物美術”という言葉を世に広め
たきっかけにもなりました。
名物裂の研究に着手した平藏は70種もの宝物を復元。日本の美術
織物の普及に貢献しました。また、クリスチャン・ディオールをは
じめとする海外有名デザイナーの依頼で生地を制作するなど、活躍
のフィールドは世界へと広がっていました。昭和31(1956)年、平藏
80歳にして、日本芸術院恩賜賞を受賞。染織工芸界の新たな可能性
を切り開いた数々の業績に対し与えられた栄誉でした。伝統的な西
陣にあって、常に斬新な発想と革新的な技法の習得により新境地を
切り開いてきた龍村平藏。彼が残した「温故知新を織る」という言
葉からは、生涯をかけて取り組んだ「織の美」にかける純粋なまで
の熱き想いを感じ取ることができます。
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